抽象画とカンディンスキーの世界へようこそ!心の音を描いた画家の軌跡

こんにちは、アートの面白さを皆さんと一緒に探求したい、アザミです。

形のない、色と線だけで構成された「抽象画」の前に立ったとき、皆さんは何を感じますか。

「何が描かれているのか分からない」「なんだか難しそう…」そんな風に感じて、少し距離を置いてしまった経験はありませんか。

私自身も、初めはそうでした。

でもある日、一枚の絵が、まるで音楽のように私の心に直接語りかけてくるような、不思議な体験をしたのです。

その絵の作者こそ、ワシリー・カンディンスキーでした。

今回の記事では、難解だと思われがちな抽象画とカンディンスキーの世界について、一緒に探求していきたいと思います。

彼はなぜ具体的な形を描くことをやめ、目に見えない「心」や「精神」を絵画で表現しようとしたのでしょうか。

彼の作品に頻繁に登場する色彩や形には、どのような意味が込められているのでしょう。

この記事では、抽象絵画の父とも呼ばれるカンディンスキーの生涯や、彼の芸術を支えた理論を追いかけながら、その謎に迫っていきます。

彼の代表作を鑑賞し、芸術における精神的なものという彼の思想や、切っても切れない音楽との関係性にも触れていきます。

また、ドイツの革新的な学校バウハウスでの活動や、彼が中心となった芸術運動「青騎士」についても見ていきましょう。

この記事を読み終えるころには、抽象画とカンディンスキーの作品が、もっと身近に、そしてもっと魅力的に感じられるようになっているはずです。

知識として「知る」だけでなく、心で「感じる」アートの楽しみ方を、一緒に見つけていきましょう。

※こちらのページの画像はイメージ画像です。カンディンスキーの絵はGoogle検索よりご確認ください。

▶︎カンディンスキー+作品

この記事で分かる事、ポイント
  • カンディンスキーが「抽象絵画の父」と呼ばれる理由
  • 彼が芸術で追求した「内なる響き」という概念の正体
  • 理論書「芸術における精神的なもの」が説く核心
  • 代表作に込められたカンディンスキーの世界観や思想
  • 彼の作品と音楽の切っても切れない深い関係性
  • バウハウス時代が彼の作風に与えた変化と進化
  • 初心者でも実践できるカンディンスキーの抽象画の楽しみ方

目次

抽象画とカンディンスキーの探求の軌跡を辿る

この章のポイント
  • なぜ「抽象絵画の父」と呼ばれるようになったのか
  • 彼が追い求めた「内なる響き」という概念
  • 理論書「芸術における精神的なもの」の要点
  • 代表作から読み解くカンディンスキーの世界観
  • 作品制作における音楽との密接な関係性

なぜ「抽象絵画の父」と呼ばれるようになったのか

アートの世界を探求していると、時々「〇〇の父」という言葉に出会いますよね。

例えば、ポール・セザンヌが「近代絵画の父」と呼ばれるように、ワシリー・カンディンスキーは「抽象絵画の父」として知られています。

でも、なぜ彼はそう呼ばれるようになったのでしょうか。

その理由を探ることは、抽象画とカンディンスキーの芸術を理解する上で、とても大切な一歩になるように感じます。

一緒にその歴史を紐解いていきましょう。

絵画の常識を覆した革命

カンディンスキーが活動を始めた20世紀初頭まで、絵画の主な役割は「目に見える世界をキャンバスの上に再現すること」でした。

風景、人物、静物など、具体的なモチーフをいかに巧みに描くかが画家の腕の見せ所だったわけです。

しかし、カンディンスキーは、絵画の可能性はそれだけではないと考えました。

彼は、絵画は画家の内面、つまり感情や思想、精神といった「目に見えないもの」を表現するための言語であるべきだと主張したのです。

これは、当時の美術界の常識を根底から覆す、まさに革命的な考え方でした。

彼がすごいのは、ただそう考えただけでなく、理論を打ち立て、そして誰よりも早く、具体的な形を持たない「純粋な抽象絵画」を制作した点にあります。

歴史上、完全に具体的なモチーフから離れた最初の画家の一人であること、それが彼が「抽象絵画の父」と呼ばれる最大の理由だと言えるでしょう。

運命を変えた二つの出来事

実はカンディンスキー、最初から画家を目指していたわけではありませんでした。

モスクワ大学で法律と経済を学び、30歳で大学教授の職を約束されるほどのエリートだったのです。

そんな彼の人生を大きく変える、二つの運命的な出来事がありました。

一つは、1896年にモスクワで見たフランス印象派の展覧会です。

そこで彼は、クロード・モネの『積みわら』という作品に出会います。

初め、彼はそれが何を描いた絵なのか分かりませんでした。

しかし、モチーフが分からなくても、その色彩の美しさ自体が心に強く響くことに衝撃を受けたのです。

「絵画は、対象物をリアルに描かなくても、色そのものが力を持つのではないか?」この時の感動が、彼の芸術家としての原点になったと言われています。

もう一つの出来事は、同じ年に観たワーグナーのオペラ『ローエングリン』でした。

その音楽を聴いたとき、カンディンスキーの頭の中には、まるで目の前に広がるかのように鮮やかな色彩と線が浮かび上がったそうです。

「音楽が心に直接働きかけるように、絵画もまた、色彩と形で人の魂に直接語りかけることができるはずだ」。

この二つの体験が彼の背中を押し、安定した将来を捨ててミュンヘンで画家としての道を歩み始める決意をさせたのです。

このエピソードを知ると、彼がなぜそこまで目に見えない世界の表現にこだわったのか、その情熱の源泉に触れられるような気がしませんか。

彼の探求は、一枚の絵との出会いと、音楽がもたらしたインスピレーションから始まったのですね。

彼が追い求めた「内なる響き」という概念

抽象画とカンディンスキーの世界を旅する上で、避けては通れないキーワードがあります。

それが「内なる響き」という言葉です。

これは彼の芸術哲学の中心にある、とても重要な概念なのですが、少し難しく聞こえるかもしれませんね。

でも大丈夫です。

私なりに噛み砕いて、これがどういうことなのかを一緒に考えていきたいと思います。

この概念を理解できると、カンディンスキーの作品がまったく違って見えてくるはずですよ。

「内なる響き」とは、魂のコミュニケーション

カンディンスキーが言った「内なる響き」、これを一言で言い表すなら、「芸術を通して、人の魂が振動し、共鳴すること」だと私は解釈しています。

彼は、すべての物、そして人間には「魂」が宿っていると考えていました。

そして芸術の本当の目的は、その作品を見る人の魂に直接働きかけ、心の奥深くにある弦を震わせることだと信じていたのです。

例えば、美しい音楽を聴いたとき、理由もなく涙が出たり、勇気が湧いてきたりすることがありますよね。

それは、音という物理的な振動が、私たちの「魂」という内なる部分と直接コミュニケーションを取っているからだ、と彼は考えました。

そして、絵画もまた、音楽と同じように、色彩や形といった要素を使って、人の魂と直接対話できるはずだ、と。

そのために、彼は具体的な物の形を借りることをやめました。

なぜなら、例えばリンゴの絵を見たとき、私たちは「ああ、リンゴだな」と頭で認識してしまい、魂が直接色や形を感じる邪魔になると考えたからです。

彼が目指したのは、頭で「理解する」アートではなく、心(魂)で「感じる」アートだった、ということですね。

色彩と形が奏でるシンフォニー

では、具体的にどうやって魂に働きかけるのでしょうか。

ここで重要になるのが、色彩と形です。

カンディンスキーは、一つ一つの色や形が、それぞれ固有の「響き」を持っていると考えました。

それはまるで、オーケストラの楽器がそれぞれ違う音色を持っているのと同じです。

  • 黄色:鋭く、攻撃的で、まるで甲高いトランペットの音のよう。地上に近づく動き。
  • 青色:静かで、深く、精神的。天に向かう動き。パイプオルガンやチェロのような深い音色。
  • 赤色:情熱的で、力強く、自己完結したエネルギー。チューバのような力強い音。
  • 緑色:不動で、穏やか。ヴァイオリンの中音域のような響き。
  • 白色:可能性に満ちた静寂。すべての音が始まる前の、無限の沈黙。
  • 黒色:可能性のない、永遠の沈黙。無。

さらに、形にもそれぞれ響きがあると考えました。

  • 三角形:鋭角は黄色と親和性が高く、活動的な響きを持つ。
  • 四角形:鈍角は赤色と結びつき、落ち着いた響きを持つ。
  • :最も穏やかで精神的な形。青色との結びつきが強い。

彼の絵画は、これらの個性豊かな「楽器」(色彩と形)を組み合わせて、一つの壮大なシンフォニー(交響曲)を奏でているようなもの、と考えると分かりやすいかもしれません。

画家は指揮者であり、キャンバスは楽譜です。

どの色をどの形と組み合わせ、どこに配置するか。

そのすべての決断は、画家の「内なる響き」、つまりその時の感情や伝えたい精神的なメッセージに従って行われるべきだと彼は説きました。

この考え方を知ってから彼の作品を見ると、「ああ、この黄色は確かにトランペットのように高らかに鳴り響いているな」「この深い青は、静かな祈りのように心に染み渡る」というように、目に見える絵から「音」や「感情」が聞こえてくるような気がしませんか。

これが、カンディンスキーが私たちに体験してほしかった「内なる響き」の世界なのだと思います。

理論書「芸術における精神的なもの」の要点

カンディンスキーは、ただ感覚的に抽象画を描いていただけの画家ではありませんでした。

彼は自身の芸術に対する考えを、深く、そして論理的に探求し続けた思想家でもあったのです。

その思想の核心が詰まっているのが、1911年に出版された理論書『芸術における精神的なもの』です。

この本は、その後の20世紀美術の歴史に大きな影響を与えた、とても重要な一冊とされています。

少し難しそうなタイトルですが、ここには彼の情熱と、芸術に対する真摯な願いが込められています。

この本が一体何を伝えようとしていたのか、そのポイントを一緒に見ていきましょう。

物質主義への警鐘と、芸術の使命

この本が書かれた20世紀初頭は、科学技術が急速に発展し、人々が物質的な豊かさを追い求めるようになっていた時代でした。

カンディンスキーは、そんな社会の中で、人々の「精神」が置き去りにされていることに強い危機感を抱いていました。

彼は、こうした物質主義に偏った世界を救う力を持っているのが「芸術」だと信じたのです。

彼にとっての芸術とは、単なる美しい装飾品や、目を楽しませるためだけの娯楽ではありません。

芸術とは、人々の忘れられた魂を呼び覚まし、精神的な高みへと導くための「精神的な食糧」であるべきだ、と彼は力強く主張しました。

この本は、そんな芸術が本来持つべき崇高な使命を、芸術家自身に、そして社会全体に思い出させるためのメッセージだったと言えるかもしれませんね。

芸術のピラミッド

本の中で、カンディンスキーは社会の精神的な状態を、巨大な「ピラミッド」に例えています。

ピラミッドの底辺には、多くの大衆がいます。

そして、頂点に近づくほど、より精神的に進んだ人々がいる、という構造です。

そして、このピラミッドの頂点の、さらにその先に立って、全体を未来へと引き上げていく存在、それが「芸術家」なのだと彼は言います。

芸術家は、凡人には見えない明日を見て、そのビジョンを作品を通して人々に示し、精神的な進化を促すという、重い責任を負っているのです。

しかし、その仕事は孤独です。

頂点に立つ者は、しばしば同時代の人々から理解されず、「詐欺師」や「狂人」と罵られる運命にある、とも述べています。

それでも、内なる声に耳を傾け、黙々と作品を作り続けるのが真の芸術家の姿なのだと。

これは、まさに彼自身の覚悟の表明でもあったように感じます。

色彩と形の「内なる響き」の理論化

そしてこの本の中で、先ほどお話しした「内なる響き」の理論が、より具体的に、そして体系的に説明されています。

彼は、色彩が人間の魂に与える二つの効果について語っています。

  1. 物理的な効果:色が目に与える直接的な感覚。例えば、鮮やかな黄色を見ると目がチカチカするような、純粋に身体的な反応です。
  2. 精神的な効果(内なる響き):色が魂に引き起こす振動。これは、その人の記憶や経験と結びついて、より深い感情的な反応を生み出します。例えば、ある特定の青色を見たときに、なぜか悲しい気持ちになる、といった体験です。

カンディンスキーが目指したのは、もちろん後者の「精神的な効果」を最大限に引き出すことでした。

そのために、彼は様々な色が持つ心理的な特性や、それらがどのような「音」に対応するのかを、細かく分析し、理論化したのです。

『芸術における精神的なもの』は、抽象画が単なるデタラメな落書きではなく、音楽のように緻密な理論と深い精神性に基づいた、新しい芸術言語であることを高らかに宣言した書物でした。

この本の登場によって、多くの芸術家たちが具体的な形から解放され、内面の世界を表現する勇気を得たのです。

まさに、抽象絵画の誕生を告げる、号砲のような一冊だったと言えるでしょう。

代表作から読み解くカンディンスキーの世界観

理論や言葉を知るのも面白いですが、やはり画家の世界に触れる一番の近道は、その作品をじっくりと見つめることだと思いませんか。

抽象画とカンディンスキーの関係性をより深く感じ取るために、彼のキャリアを彩ったいくつかの代表作を、一緒に旅するように見ていきたいと思います。

彼の作風がどのように変化し、探求が深まっていったのか。その軌跡を追うことで、彼の芸術の世界観がより鮮やかに見えてくるはずです。

初期の情熱:『青い騎手』(1903年)

この作品は、彼がまだ具象的なモチーフを描いていた初期のものです。

青いマントを羽織った騎士が、白い馬に乗って草原を疾走しています。

しかし、よく見てみると、普通の風景画とは少し違うことに気づきます。

木々の葉は点描のように描かれ、地面の色も現実の色とは異なり、まるで感情の波のようにうねっているように見えます。

ここには、後の抽象画へと繋がっていく要素がすでに表れています。

それは、見たままの風景を描くのではなく、その風景から受けた印象や感情を、色彩と筆遣いで表現しようとする試みです。

特に「騎士」は、カンディンスキーにとって特別なモチーフでした。

古い慣習と戦い、新しい精神的な世界を目指す芸術家の象徴として、彼は騎士の姿に自分を重ねていたのかもしれませんね。

抽象への飛躍:『コンポジション VII』(1913年)

『青い騎手』から10年後、彼の作品は劇的な変化を遂げます。

この『コンポジション VII』は、彼の最初の抽象画の頂点とも言われる大作です。

画面には、もはや具体的な形を見つけることはできません。

あるのは、渦巻く色彩の洪水と、複雑に絡み合う線、そして爆発するようなエネルギーです。

初めてこの絵の前に立つと、その圧倒的な迫力に言葉を失ってしまうかもしれません。

しかし、彼はこの絵を混沌として描いたわけではありません。

この一枚を完成させるために、30枚以上の習作を描いたと言われています。

一見無秩序に見える画面は、実は緻密に計算され、構成されているのです。

カンディンスキーは、この作品に「大洪水」や「最後の審判」といった、世界の終わりと再生のイメージを込めたとされています。

古い物質的な世界が崩壊し、新しい精神的な世界が生まれようとする瞬間の、壮大なドラマが描かれているのかもしれません。

頭で理解しようとせず、ただこの色彩とエネルギーの渦に身を任せてみると、何か壮大な音楽が聞こえてくるような気がしませんか。

幾何学的な調和:『黄・赤・青』(1925年)

この作品は、彼がドイツのデザイン学校「バウハウス」で教鞭をとっていた時代に描かれました。

先ほどの『コンポジション VII』の情熱的な作風とは打って変わって、非常に理知的で、幾何学的な構成が特徴です。

画面は大きく二つに分かれています。

左側には、明るい黄色を背景に、直線や鋭い角が配置され、軽やかで活動的な印象を与えます。

一方、右側には、深い青色の大きな円を中心に、曲線や暗い色が使われ、静かで瞑想的な雰囲気を持っています。

そして、その中間で両者をつなぐように、安定した赤色の四角形が置かれています。

これは、彼が理論書で説いた「黄色=活動的」「青=精神的」という色彩理論と、「三角形=鋭角」「円=穏やか」という形態理論が、見事に実践された作品です。

まるで、異なる性格を持つ楽器が、それぞれのパートを完璧に演奏しながら、全体として一つの美しいハーモニーを生み出しているようです。

バウハウス時代の彼は、情熱だけでなく、論理や秩序を通して、宇宙の調和を表現しようとしていたのかもしれませんね。

これらの作品を時系列で見ていくと、カンディンスキーの探求が、具象的な世界の感情表現から、純粋なエネルギーの爆発へ、そして最終的には宇宙的な秩序の表現へと、深く進化していった様子が感じられます。

作品制作における音楽との密接な関係性

抽象画とカンディンスキーについて語る時、どうしても外すことができないのが「音楽」の存在です。

彼の人生や作品を調べていくと、至る所で音楽との深い、そして情熱的な関係性に出会うことになります。

なぜ彼は、これほどまでに音楽に魅了され、自身の絵画と結びつけようとしたのでしょうか。

私自身、このテーマはとても興味深く感じています。

一緒にその理由を探っていくことで、彼の作品に込められた「聴こえる絵画」の秘密に近づけるかもしれません。

音楽こそが、最も純粋な芸術

カンディンスキーにとって、音楽、特に楽器の音だけで構成される器楽曲は、芸術が目指すべき最高のモデルでした。

なぜなら、音楽は具体的な「もの」を説明したり、模倣したりする必要がないからです。

音やリズム、ハーモニーといった抽象的な要素だけで、人の心に直接働きかけ、深い感動や感情を呼び起こすことができます。

物語や歌詞がなくても、ベートーヴェンの交響曲は私たちを勇気づけ、ショパンのピアノ曲は切ない気持ちにさせますよね。

彼は、絵画もまた、音楽のように物理的な世界への依存から解放されるべきだと考えました。

色と形という、絵画ならではの純粋な要素だけで、音楽のように人の魂と直接対話し、感動を生み出すこと。

それが、彼が生涯をかけて追い求めた夢だったのです。

彼の作品タイトルに、音楽用語が頻繁に使われているのも、この考えの表れです。

  1. インプレッション(印象):自然から受けた直接的な印象をもとに制作された作品。
  2. インプロヴィゼーション(即興):無意識的、自発的に湧き上がってきた内面の感情を表現した作品。
  3. コンポジション(構成):長い時間をかけて熟考し、意識的に、そして緻密に構成された作品。彼の作品の中で最も重要視された。

これらのタイトルは、彼の絵画が、音楽の作曲プロセスと同じように、内面的な衝動や緻密な構成によって生み出されていることを示唆しているのですね。

シェーンベルクとの出会い

彼の音楽への傾倒を決定づけたのが、オーストリアの作曲家アルノルト・シェーンベルクとの出会いでした。

1911年1月、カンディンスキーはミュンヘンでシェーンベルクのコンサートを聴き、雷に打たれたような衝撃を受けます。

シェーンベルクは、それまでの音楽の常識だった「調性(ハ長調やイ短調といった、中心となる音の秩序)」を破壊し、「無調音楽」という新しい音楽を創造しようとしていました。

協和音の心地よさから解放された、不協和音が自由に響き合うその音楽は、多くの聴衆を戸惑わせました。

しかしカンディンスキーは、その音楽の中に、自分が絵画で目指しているものの答えを見出したのです。

「シェーンベルクの音楽は、私たちの魂が、最も強い振動を体験することを可能にしてくれる」。

彼は、具体的な形から絵画を解放しようとしている自分と、調性から音楽を解放しようとしているシェーンベルクに、深い精神的な共感を見出しました。

このコンサートの感動から、彼は『インプレッションIII(コンサート)』という作品をわずか2日で描き上げています。

画面中央の大きな黒い塊はグランドピアノを、そして飛び散る黄色は、聴衆の心に突き刺さるシェーンベルクの鋭い音を表していると言われています。

共感覚(シナスタジア)の可能性

カンディンスキーと音楽の関係を語る上で、しばしば「共感覚(シナスタジア)」という言葉が使われます。

これは、一つの感覚の刺激が、自動的に別の感覚を引き起こすという特殊な知覚現象のことです。

例えば、「文字に色が見える」「音に形を感じる」といった体験です。

カンディンスキー自身が共感覚者であったという明確な証拠はありません。

しかし、ワーグナーのオペラを聴いて鮮やかな色彩を見たり、黄色にトランペットの音を感じたりといった彼の数々の発言は、彼が非常に共感覚に近い体験をしていたことを強く示唆しています。

彼にとって、色を見ることは音を聴くことであり、絵を描くことは作曲することと、ほとんど同義だったのかもしれません。

この視点から彼の作品を眺めると、無数の色と線が、まるでオーケストラの楽器のように一斉に鳴り響き、壮大なシンフォニーを奏でているように見えてきませんか。

抽象画とカンディンスキーの探求は、まさに「目に見える音楽」を創造するための、壮大な旅だったと言えるでしょう。

抽象画とカンディンスキーが拓いた芸術の新境地

この章のポイント
  • 有名な「コンポジション」シリーズの特徴とは
  • バウハウス時代が作品にもたらした変化と進化
  • 「点と線から面へ」に込められた芸術思想
  • 前衛芸術運動「青騎士」での中心的な役割
  • 初心者でもわかる抽象画の見方・楽しみ方
  • まとめ:心で感じる抽象画とカンディンスキーの魅力

有名な「コンポジション」シリーズの特徴とは

カンディンスキーの膨大な作品群の中でも、ひときわ重要な輝きを放っているのが「コンポジション」と名付けられたシリーズです。

日本語に訳すと「構成」という意味になりますね。

このシリーズは、彼の芸術的な探求の集大成であり、抽象絵画という新しい言語を確立していく上での、道しるべのような存在でした。

彼自身、この「コンポジション」を最も重要な作品群と位置づけていたと言います。

では、このシリーズは他の作品と何が違い、どのような特徴を持っているのでしょうか。

一緒にその核心に迫ってみましょう。

最も熟考された、究極の作品群

先ほども少し触れましたが、カンディンスキーは自身の作品を「インプレッション」「インプロヴィゼーション」「コンポジション」の三つに分類していました。

「インプレッション」が外的自然からの印象、「インプロヴィゼーション」が内的自然からの即興的な表現だとすれば、「コンポジション」は、それらの要素を統合し、長い時間をかけて意識的に、そして緻密に構築された作品を指します。

即興演奏のような閃きや情熱も大切ですが、ベートーヴェンが交響曲を書き上げるのに何年もかけたように、本当に偉大な芸術は、深い思索と完璧な構成の上に成り立つ、と彼は考えていたようです。

そのため、現存する10点の「コンポジション」は、いずれも制作に数ヶ月から数年が費やされ、数多くの習作やスケッチを経て完成された大作となっています。

これらの作品は、カンディンスキーがその時々に到達した芸術的・精神的な境地を、最も純粋な形で表現した、彼の画業における記念碑と言えるでしょう。

各時代の探求を映す鏡

「コンポジション」シリーズは、彼の作風の変遷を見事に映し出しています。

残念ながら最初の3点は失われてしまいましたが、現存する作品を追っていくだけでも、彼の探求の道のりがよく分かります。

  • コンポジション IV (1911年): まだ騎士や風景といった具象的なモチーフの断片が見られますが、それらは色彩の奔流の中に溶け込み始めています。線と色が独立した要素として力強く主張し始めているのが特徴です。
  • コンポジション V (1911年): 「復活」という副題が付けられ、より抽象化が進んでいます。具体的な形はほとんど消え、魂の救済という壮大なテーマが、色彩と形のドラマとして描かれています。
  • コンポジション VII (1913年): 先ほども紹介した、ミュンヘン時代の頂点と言える作品。混沌と秩序が渦巻く、爆発的なエネルギーに満ち溢れています。純粋抽象の完成形の一つと言えます。
  • コンポジション VIII (1923年): バウハウス時代に描かれ、作風が一変します。幾何学的な形(円、三角形、半円など)が支配的になり、宇宙的な秩序やハーモニーが感じられます。左上の大きな円は、まるで太陽か惑星のようです。
  • コンポジション X (1939年): パリ時代に描かれた、シリーズ最後の作品。黒い背景は、宇宙空間や夜を思わせます。その中に、色とりどりの有機的な形が、まるで生命体のように浮かんでいます。戦争の足音が近づく不穏な時代の中で、彼は芸術の中に生命の賛歌や、調和した小宇宙を夢見ていたのかもしれませんね。

このように、シリーズを通して見ていくと、情熱的で混沌とした表現から、理知的で秩序だった構成へ、そして最後には生命感あふれる宇宙的なビジョンへと、彼の関心が移り変わっていったことが分かります。

「コンポジション」シリーズは、抽象画とカンディンスキーというテーマにおける、最高の道しるべだと言えるのではないでしょうか。

バウハウス時代が作品にもたらした変化と進化

芸術家の人生には、しばしば転機となる場所や出会いがあります。

カンディンスキーにとって、1922年から1933年まで教鞭をとったドイツの造形学校「バウハウス」での日々は、まさにそのような重要な時期でした。

バウハウスは、ただの美術学校ではありません。

建築、デザイン、絵画、工芸といった、あらゆる芸術分野の垣根を取り払い、現代的な生活のための総合的な芸術を目指した、革新的な教育と創造の実験場でした。

この場所での経験は、抽象画とカンディンスキーの探求に、どのような変化と進化をもたらしたのでしょうか。

情熱から、秩序と論理へ

バウハウスに招かれる前のミュンヘン時代、カンディンスキーの作品は、激しい感情のほとばしりや、直感的な筆致が特徴でした。

しかし、バウハウスでは、彼は「芸術の基礎」を学生たちに教える教師という立場になります。

人に教えるためには、自身の感覚や直感を、誰もが理解できる普遍的な法則や理論にまで高める必要があったのですね。

この教育者としての経験が、彼の作品に大きな変化をもたらしました。

かつての情熱的で有機的な線は影を潜め、定規やコンパスで引かれたような、明確な幾何学的形態(円、四角、三角形、直線)が画面を構成するようになります。

これは、芸術を個人の感情表現のレベルから、より客観的で、宇宙的な法則性を持つものへと引き上げようとする試みだったと言えるかもしれません。

彼の代表作『黄・赤・青』は、まさにこの時代の特徴を象徴する作品です。

色彩の持つ感情的な力と、幾何学的な形の持つ知的な秩序が、見事なバランスで統合されています。

パウル・クレーとの友情と相互作用

バウハウスには、カンディンスキーの他にも、多くの素晴らしい芸術家が教師として集っていました。

中でも、同じく抽象絵画の巨匠であるパウル・クレーとの出会いは、彼にとって非常に大きなものでした。

カンディンスキーとクレーは、隣同士の家に住み、互いの作品や芸術論について日々語り合ったと言います。

二人は、芸術の源泉が「内的なもの」にあるという点で共通していましたが、そのアプローチは対照的でした。

カンディンスキーが壮大な宇宙的調和や精神的なドラマを描こうとしたのに対し、クレーは自然界の小さな生命や、詩的で物語的な世界を、繊細な線で表現しました。

この二人の天才の交流は、互いの作品に良い影響を与え合いました。

カンディンスキーの作品には、クレーのような軽やかさやユーモアの感覚が加わり、クレーの作品には、カンディンスキーのような色彩の力強さが見られるようになったと言われています。

バウハウスは、彼にとって、自身の芸術を理論的に深める場であると同時に、最高の仲間と切磋琢磨する刺激的な環境でもあったのですね。

しかし、この創造的な楽園は、ナチスの台頭によって終わりを告げます。

1933年、バウハウスは閉鎖に追い込まれ、カンディンスキーはドイツを離れ、パリへと亡命することを余儀なくされるのです。

バウハウスでの10年間は、彼の画業において、最も安定的で、そして理論的に充実した時期だったと言えるでしょう。

「点と線から面へ」に込められた芸術思想

バウハウス時代のカンディンスキーを語る上で、もう一つ欠かせないのが、1926年に出版された彼の第二の理論書『点と線から面へ』です。

『芸術における精神的なもの』が、抽象絵画の誕生を告げる情熱的なマニフェストだったとすれば、この本は、バウハウスでの教育活動を通して、より科学的かつ分析的に、絵画の基本要素を解き明かそうとした、探求の記録と言えるでしょう。

なんだか、数学の教科書のようなタイトルですよね。

でも、ここには彼のユニークで深い芸術思想が詰まっています。

一緒にその扉を開いて、絵画を構成する最小単位の世界を覗いてみましょう。

すべての始まり、「点」の持つ力

カンディンスキーは、すべての絵画、いや、すべての存在の始まりは「点」であると考えました。

点とは、彼によれば「最も簡潔な、時間的・空間的な主張」です。

それは、沈黙の中に発せられた最初の言葉であり、無の中に生まれた最初の存在でもあります。

そして、この点には、それ自体に「響き」や「緊張」が内包されていると彼は言います。

例えば、キャンバスのど真ん中に置かれた点は、非常に安定的で自己完結した響きを持ちます。

一方で、隅の方に置かれた点は、中心から離れたことによる緊張感を持ち、画面に動きを生み出します。

また、点の大きさや形によっても、その響きは変化します。

彼にとって点は、単なる幾何学的な記号ではなく、エネルギーを秘めた、生命の種子のような存在だったのですね。

この考え方は、とても面白いと思いませんか。

普段何気なく見ている「点」に、こんなにも豊かな世界が広がっているとは、驚きです。

動きと感情を持つ、「線」のドラマ

では、「線」とは何でしょうか。

カンディンスキーの答えは明快です。

「線とは、点が動いたことによって残された軌跡である」。

つまり、線は静的な点とは対照的に、本質的に「動き」や「時間」の要素を含んでいるのです。

そして、その線の種類によって、伝わってくる感情や「響き」が大きく異なると彼は分析しました。

線の種類 特徴と持つ響き
水平線 冷たく、穏やかで、静的な響き。「横たわる」という感覚。
垂直線 温かく、気高く、活動的な響き。「立つ」という感覚。
対角線 水平線と垂直線の性質を併せ持ち、よりドラマチックで不安定な響き。
曲線 より柔軟で、穏やかな力を持ち、精神的な深まりを感じさせる。
ジグザグ線(角線) 神経質で、鋭く、時には攻撃的な響き。

彼は、これらの線を組み合わせることで、まるで脚本家が物語を紡ぐように、キャンバスの上に感情のドラマを描き出すことができると考えました。

線の太さ、濃さ、そして他の線との関係性(交差する、平行するなど)によって、そのドラマは無限のバリエーションを生み出すのです。

すべてを包み込む、「面」の役割

そして最後に「面」です。

面とは、線によって囲まれた領域のことであり、絵画の基本的な背景、つまり舞台のような役割を果たします。

この面が、点や線が持つ響きを決定づける、非常に重要な要素だと彼は言います。

例えば、同じ赤い点でも、白い面の上にある時と、黒い面の上にある時とでは、私たちに与える印象は全く異なりますよね。

面は、その上に置かれた点や線に「場」を与え、全体の雰囲気やハーモニーを支配するのです。

『点と線から面へ』は、このように、絵画の基本要素を徹底的に分解し、それぞれが持つ内的な力を解明しようとする、壮大な試みでした。

それは、抽象絵画が単なる感覚的なものではなく、音楽の和声学のように、しっかりとした文法と理論に基づいた芸術言語であることを証明しようとする、カンディンスキーの情熱の結晶だったと言えるでしょう。

前衛芸術運動「青騎士」での中心的な役割

カンディンスキーの芸術を語る時、彼が画家としてだけでなく、新しい芸術の価値観を共に探求する仲間たちを率いた、優れたリーダーでもあったことを忘れてはなりません。

その最も象徴的な活動が、1911年にドイツのミュンヘンで結成された前衛芸術家グループ「青騎士(デア・ブラウエ・ライター)」です。

このユニークな名前のグループは、短い活動期間にもかかわらず、20世紀の芸術史、特に表現主義と抽象絵画の発展に、非常に大きな足跡を残しました。

抽象画とカンディンスキーの物語における、この重要な一章を一緒に見ていきましょう。

結成の背景:保守的な芸術界への反旗

「青騎士」は、ある反逆から始まりました。

当時カンディンスキーは、「ミュンヘン新芸術家協会」というグループの会長を務めていました。

しかし、彼の芸術がどんどん抽象化していくにつれて、協会の他のメンバーとの間に溝が生まれていきます。

そして1911年、協会の展覧会で、カンディンスキーの『コンポジション V』が「大きすぎる」という理由で出品を拒否されるという事件が起こります。

これに激怒したカンディンスキーと、彼の考えに同調していた友人フランツ・マルクらは、協会を脱退。

そして、自分たちの理想とする芸術を実現するために、独自のグループ「青騎士」を結成し、独自の展覧会を企画したのです。

彼らが目指したのは、アカデミックで古臭い芸術のルールから自由になり、目に見える世界の再現ではなく、内面的な真実や精神性を表現することでした。

これは、まさにカンディンスキーが『芸術における精神的なもの』で説いた理念を、実践に移すための行動だったのですね。

「青騎士」という名前の由来

なんとも詩的で、ロマンティックな響きを持つ名前だと思いませんか。

この名前は、グループの中心人物であったカンディンスキーとフランツ・マルクの二人が、お互いの好きなものを組み合わせたものだと言われています。

カンディンスキーは、以前から自身の作品のモチーフとして「騎士」を好んで描いていました。

彼にとって騎士は、古い因習と戦う改革者の象徴でした。

そして彼は、特に精神性を象徴する色として「青」を愛していました。

一方、フランツ・マルクは、動物、特に「馬」を純粋さの象徴として好んで描いていました。

こうして、二人の愛するモチーフが合わさって、「青騎士」という名前が生まれたのです。

この名前自体が、彼らの目指した芸術の姿、つまり精神的な世界のために戦うというロマンティックな理想を象徴しているように感じます。

多様性を受け入れる、開かれた精神

「青騎士」が画期的だったのは、特定の画風や主義をメンバーに強制しなかった点です。

展覧会には、カンディンスキーのような抽象絵画もあれば、フランツ・マルクやアウグスト・マッケのような色彩豊かな動物画、パウル・クレーの幻想的な絵画、さらにはアンリ・ルソーの素朴な作品まで、非常に多様なスタイルの作品が集められました。

彼らにとって重要だったのは、スタイルの違いではなく、「内面的な衝動から制作しているか」という一点だけでした。

彼らはまた、中世の木版画や、子供の絵、民俗芸術など、当時の「美術」の枠外とされていたものにも価値を見出し、年鑑『青騎士』の中で積極的に紹介しました。

このジャンルや国籍、時代を超えて、あらゆる「精神的な芸術」を結びつけようとするオープンな姿勢は、非常に先進的でした。

残念ながら、「青騎士」の活動は、1914年に第一次世界大戦が勃発したことで、わずか数年で終わりを告げてしまいます。

メンバーのマッケとマルクは戦死し、ロシア人であったカンディンスキーはドイツを離れなければなりませんでした。

しかし、彼らが掲げた「芸術の内的必要性」という理念は、その後の多くの芸術家たちに受け継がれ、表現主義や抽象芸術が花開くための、豊かな土壌となったのです。

初心者でもわかる抽象画の見方・楽しみ方

さて、ここまで抽象画とカンディンスキーの探求の軌跡を、一緒に辿ってきました。

彼の理論や人生を知ることで、作品が少し身近に感じられるようになったかもしれません。

でも、いざ美術館で一枚の抽象画を前にすると、「やっぱり、どう見たらいいのか分からない…」と感じてしまうこともあるかと思います。

それは、とても自然なことです。

私自身も、いつもそう感じながら、一枚一枚の絵と対話しています。

この最後のセクションでは、専門家としての「正しい見方」ではなく、アート探求家の仲間として、私がいつも実践している抽象画の楽しみ方のヒントを、いくつかお話ししたいと思います。

正解探しをやめてみる

抽象画を難しく感じてしまう一番の原因は、無意識のうちに「何が描かれているんだろう?」という“正解”を探してしまうことにあるのかもしれません。

私たちは子供の頃から、絵を見て「これはリンゴだね」「これは猫だね」と、具体的なモノの名前を当てる訓練を受けてきました。

でも、抽象画はなぞなぞではありません。

カンディンスキーが目指したように、それは私たちの心に直接語りかけてくる、音楽のようなものです。

なので、まずは「理解しよう」という気持ちを、少しだけ横に置いてみませんか。

そして、「この絵を見て、自分は何を感じるだろう?」という、自分自身の心の動きに、そっと耳を澄ませてみてください。

ワクワクする、落ち着く、悲しくなる、元気が出る…。

どんな感情でも、それがあなただけの「正解」です。

画家が込めた意図と、あなたが感じたことが違っていても、全く問題ありません。

その「ズレ」も含めて、アートとの対話の面白さだと、私は思います。

鑑賞のステップを試してみる

とはいえ、いきなり「感じてみて」と言われても戸惑ってしまいますよね。

そんな時は、こんなステップで絵と向き合ってみるのはいかがでしょうか。

  1. 第一印象を大切にする:まずは数メートル離れて、絵の全体をぼんやりと眺めてみます。最初に目に飛び込んでくる色は何色ですか。全体からどんな雰囲気(明るい、暗い、静か、激しいなど)を感じますか。この直感を大切にしてください。
  2. ディテールを探検する:次に、絵にぐっと近づいて、細部を探検してみましょう。絵の具の盛り上がりや、筆の跡、色の重なりなど、画家の息遣いが感じられるような部分を探してみるのです。「この線は、どんなスピードで引かれたんだろう?」「この色は、どうしてここに置かれたんだろう?」と想像してみるのも楽しいです。
  3. タイトルをヒントにする:作品のタイトルを見てみましょう。カンディンスキーの作品なら、『コンポジション』や『インプロヴィゼーション』といった音楽用語がヒントになるかもしれません。タイトルから、画家がどんなことを考えていたのか、少しだけ覗き見することができます。
  4. 連想ゲームを楽しむ:最後に、絵から自由に連想を広げてみてください。この色の組み合わせは、夕焼けみたいだな。この形は、踊っている人に見えるかもしれない。この音は、どんな音楽だろうか…。あなたの記憶や経験と、絵を結びつけてみるのです。この時間が、抽象画鑑賞の醍醐味だと感じます。

自分の「好き」を見つける旅

カンディンスキーの作品といっても、初期の情熱的なものから、バウハウス時代の幾何学的なもの、晩年の有機的なものまで、実に様々です。

すべての作品を同じように好きになる必要はありません。

色々な作品を見ていく中で、「なぜかこの絵には惹かれる」「この時代の作風が好きだな」という、あなた自身の「好き」が見つかるはずです。

その「なぜだろう?」を掘り下げていくことが、アートの探求をさらに面白くしてくれます。

抽象画鑑賞は、画家の心を探る旅であると同時に、自分自身の心と向き合う旅でもあります。

ぜひ、リラックスして、カンディンスキーが奏でる色彩の音楽に、心を委ねてみてください。

まとめ:心で感じる抽象画とカンディンスキーの魅力

今回は、抽象画とカンディンスキーの世界をテーマに、長い探求の旅をしてきました。

いかがでしたでしょうか。

法律家という安定した道を捨て、目に見えない世界の表現という、いばらの道を選んだ一人の芸術家の情熱に、少しでも触れていただけたなら、とても嬉しく思います。

彼は、絵画の歴史を変えた革命家であり、深い思索を重ねた理論家であり、そして新しい芸術の仲間を導いたリーダーでもありました。

しかし、彼の全ての活動の根底にあったのは、とてもシンプルで純粋な願いだったように、私には感じられます。

それは、「芸術を通して、人と人の魂が直接コミュニケーションできる世界を作りたい」という願いです。

彼が作品に込めた「内なる響き」は、100年以上経った今でも、私たちの心に静かに、しかし確かに響き続けています。

抽象画は、頭で理解しようとすると、途端に難解な壁となって私たちの前に立ちはだかるかもしれません。

しかし、心をオープンにして、ただそこにある色と形を感じようとするとき、それは無限の物語を語りかけてくれる、自由な遊び場へと変わります。

この記事が、皆さんと抽象画、そしてカンディンスキーとの新しい出会いのきっかけとなれば、これ以上に嬉しいことはありません。

これからも、一緒にアートの面白さを、たくさん見つけていきましょう。

この記事のまとめ
  • カンディンスキーは具体的な形を描かない純粋抽象絵画を確立した「抽象絵画の父」
  • モネの絵画とワーグナーの音楽体験が彼の芸術家への転身を促した
  • 彼の芸術哲学の中心は色と形で魂に直接働きかける「内なる響き」という概念
  • 黄色はトランペット、青はチェロのように色と形が固有の音を持つと考えた
  • 理論書『芸術における精神的なもの』で芸術の精神的な使命を説いた
  • 彼の作品は初期の情熱的な表現からバウハウス時代の幾何学的構成へと変化した
  • 音楽用語を用いた作品タイトルは絵画と音楽の融合を目指した証
  • シェーンベルクの無調音楽に深く共鳴し自身の芸術の方向性を見出した
  • 最も重要な作品群「コンポジション」は各時代の彼の芸術的探求の集大成
  • バウハウス時代にはクレーらと交流し教育者として自身の芸術を理論化
  • 理論書『点と線から面へ』で絵画の基本要素を科学的に分析した
  • 前衛芸術運動「青騎士」を結成し内面的な真実の表現を目指す芸術家を率いた
  • 抽象画の鑑賞は正解探しではなく自分の心が何を感じるかが重要
  • 遠くから眺めたり細部を探検したりタイトルをヒントにするのが楽しみ方のコツ
  • 抽象画とカンディンスキーの世界は知識でなく心で感じることで魅力が深まる

 

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