琳派と狩野派の違いとは?見分け方と魅力をやさしく解説

こんにちは、アザミです。

美術館で、金色の背景に描かれた豪華な屏風絵や、力強い墨の線で描かれた襖絵を見て、思わず足を止めてしまった経験はありませんか。

日本の美術史には、きら星のごとくたくさんの流派が存在しますが、中でも特に有名なのが琳派と狩野派ではないでしょうか。

私自身、アートの世界に足を踏み入れたばかりの頃は、この二つの違いがよく分からず、作品を前にして「これはどっちの流派なんだろう?」と首をかしげることがよくありました。

琳派と狩野派には、それぞれに際立った特徴があり、その違いを知ることで、日本美術の鑑賞が何倍も面白くなるんですよね。

例えば、どのような人々が画家たちの活動を支えたのか、つまりパトロンの違いを知るだけでも、作品の雰囲気がなぜ違うのかが見えてきます。

狩野派が力強い水墨画をベースにしているのに対し、琳派は色彩豊かな大和絵の伝統を受け継いでいるなど、そのルーツも対照的です。

この記事では、狩野永徳のような代表的な画家や、琳派の礎を築いた俵屋宗達、そしてそのスタイルを洗練させた尾形光琳といった巨匠たちの作品にも触れながら、二つの流派の具体的な見分け方や、それぞれの魅力について、皆さんと一緒に探求していきたいと思います。

難しい専門用語は使わずに、分かりやすくお話ししていきますので、アートに詳しくないという方も、どうぞリラックスして読み進めてみてください。
※当記事内で使用している画像はイメージ画像です。

この記事で分かる事、ポイント
  • 琳派と狩野派の基本的な特徴と比較
  • それぞれの流派を支えたパトロンの違い
  • 狩野派のルーツである水墨画と力強い画風
  • 琳派の源流である大和絵と華やかなスタイル
  • - 狩野永徳や俵屋宗達など代表的な画家の魅力 - 尾形光琳のデザイン的な独創性とは - 初心者でも分かる作品の見分け方のコツ

 

琳派と狩野派のきらびやかな魅力とは

この章のポイント
  • まずはそれぞれの特徴を比べてみよう
  • 誰がパトロンだったかの違いを知る
  • 水墨画を基礎とする力強い狩野派
  • 狩野永徳に代表される豪壮な画風
  • 大和絵の伝統から生まれた華やかな琳派
  • 創始者とされる俵屋宗達の作品

まずはそれぞれの特徴を比べてみよう

琳派と狩野派、どちらも日本の美術史を彩る重要な流派ですが、その成り立ちやスタイルは大きく異なります。

この二つの違いを理解する第一歩として、まずはそれぞれの特徴を並べて比較してみましょう。

そうすることで、それぞれの個性がくっきりと浮かび上がってくるはずです。

ここでは、流派の成り立ち、活動した主な時代、支援者(パトロン)、画風の基礎、そして代表的な画家という観点から、二つの流派を比較した表を作成してみました。

これを見るだけで、全体像が掴みやすくなるかもしれませんね。

項目 狩野派 琳派
成り立ち 室町時代中期に狩野正信を始祖とする血族の絵師集団。代々、世襲で受け継がれる。 特定の家系や師弟関係ではなく、俵屋宗達の画風に影響を受けた人々による緩やかな繋がり。「私淑」によってスタイルが継承された。
主な時代 室町時代中期から江戸時代末期まで、約400年間。 桃山時代後期から近代まで、断続的に現れる。
パトロン 室町幕府、織田信長、豊臣秀吉、江戸幕府など、時の権力者(武家)。 皇族や公家、裕福な商人(町衆)など。
画風の基礎 中国由来の漢画、特に力強い筆致が特徴の水墨画。 日本の伝統的な絵画である大和絵。鮮やかな色彩や装飾性が特徴。
代表的な画家 狩野永徳、狩野探幽、狩野山楽など。 俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一など。

この表を見ていただくと、狩野派がいかに「オフィシャル」で「組織的」な集団であったかが分かります。

彼らは約400年もの長きにわたり、時の権力者に仕える御用絵師として、日本の美術界のトップに君臨し続けました。

血でつながった一族が、その技術と地位を代々受け継いでいくという、まさにエリート集団だったわけです。

一方で、琳派はとてもユニークな成り立ちをしています。

琳派には、狩野派のような明確な師弟関係や血縁関係は存在しませんでした。

例えば、尾形光琳は俵屋宗達に直接絵を習ったわけではなく、宗達の作品に深く感銘を受け、「この人の絵、すごい!私もこんな風に描いてみたい!」と、尊敬の念を込めてそのスタイルを学び、自身の作品に取り入れました。

このように、直接教えを受けずに、その人を師と仰いで学ぶことを「私淑(ししゅく)」と言います。

琳派は、この私淑という形で、時代を超えて才能ある画家たちにインスピレーションを与え、受け継がれていった、非常に自由な精神を持つ流派だったと言えるでしょう。

狩野派が巨大なピラミッド組織だとすれば、琳派は時代ごとに輝きを放つ、独立した星々のような存在だったのかもしれませんね。

誰がパトロンだったかの違いを知る

絵画のスタイルやテーマは、その絵を誰が注文し、誰のために描かれたのかという点に大きく影響されます。

つまり、画家たちを経済的に支えたパトロンの存在が、流派の個性を形作る上で非常に重要な役割を果たしたのです。

琳派と狩野派のパトロンの違いは、それぞれの画風を理解するための大きなヒントになります。

まず、狩野派について見ていきましょう。

彼らは、室町幕府の足利将軍家にはじまり、織田信長、豊臣秀吉、そして江戸幕府の徳川将軍家と、常に日本の頂点に立つ武家政権に仕える「御用絵師」でした。

彼らの仕事場は、城や大名の邸宅といった、権力の象徴となる巨大な建築空間です。

そのため、注文主である武将たちの威光を天下に示すような、豪華で威厳のある作品が求められました。

例えば、広大な城の広間を飾る金箔の障壁画や屏風は、見る者を圧倒する力強さと、権力者の富と権威を象徴する豪華絢爛さが必要だったのです。

作品のテーマも、中国の故事や、龍や虎、鷹といった勇ましい動物など、武家の好みに合わせたものが多く描かれました。

まさに、武士の、武士による、武士のためのアート、それが狩野派の本質と言えるかもしれません。

一方、琳派のパトロンは、狩野派とは対照的でした。

彼らを支えたのは、京都の皇族や公家、そして経済的に力をつけた裕福な商人(町衆)たちです。

特に、江戸時代になると、商業の発展によって町人文化が花開き、洗練された美意識を持つ人々が新しいアートの担い手として登場しました。

彼らが求めたのは、武家のような威厳や格式ばったものではなく、日々の暮らしを彩る、知的で装飾的な美しさでした。

例えば、個人の邸宅で使う屏風や掛軸、あるいは扇子や着物、漆器のデザインなど、よりパーソナルで生活に密着したものが中心となります。

テーマも、源氏物語などの古典文学や、四季折々の草花といった、日本の伝統的な美意識に基づいたものが好まれました。

権力者のためではなく、個人の美意識や楽しみに応えるアート。だからこそ、琳派の作品には、自由で斬新なデザインや、遊び心にあふれた表現が多く見られるのでしょう。

このように、パトロンが誰であったかを知ることで、狩野派の「公の芸術」と、琳派の「私の芸術」という、二つの流派の根本的なスタンスの違いが、よりはっきりと理解できるのではないでしょうか。

水墨画を基礎とする力強い狩野派

狩野派の画風の根幹をなしているのは、中国から伝わった「漢画(かんが)」、特に「水墨画(すいぼくが)」です。

水墨画とは、墨の濃淡やかすれ、にじみだけで万物を表現する絵画のことで、その歴史は古く、禅宗の思想とも深く結びついて発展しました。

狩野派の絵師たちは、この水墨画の技法を徹底的に学び、その骨格とも言える力強い筆の線を何よりも重視したのです。

初代である狩野正信は、室町幕府の御用絵師として、当時の絵画の主流であった中国・宋元の画風を取り入れ、武家の好む力強く簡潔な画風を確立しました。

彼の息子の狩野元信は、さらにそのスタイルを発展させます。

彼は、水墨画の力強さに、日本の伝統的な絵画である「大和絵(やまとえ)」の柔らかな色彩や装飾性を融合させるという、画期的な試みを行いました。

これにより、狩野派のスタイルはより多様で豊かなものとなり、さまざまな注文主の要求に応えられる盤石な基盤が築かれたのです。

この「漢画の筆力と大和絵の色彩の融合」こそが、狩野派がその後400年にもわたって画壇の頂点に君臨できた大きな理由の一つと言えるでしょう。

しかし、その中心にあるのは、やはり墨の線が持つ表現力です。

例えば、岩や木の幹を描く際の、ゴツゴツとした力強い輪郭線。

あるいは、衣服のしわを表す、リズミカルで迷いのない線。

これらの線は、単に物の形を写し取っているだけではありません。

狩野派の絵師にとって、一本一本の線には、長年の厳しい修練によって培われた精神性や気迫が込められています。

彼らは、師から受け継いだ手本(粉本)を繰り返し模写することで、その筆遣いを寸分違わず習得しました。

この徹底した教育システムによって、一族の誰もが一定の高いクオリティの作品を制作できる、巨大な工房(アトリエ)を維持することができたのです。

狩野派の作品を見るときは、ぜひその「線」に注目してみてください。

そこには、武家社会の秩序や力強さを体現するような、揺るぎない自信と様式美が感じられるはずです。

豪華な金や色彩の裏に隠された、骨太な墨の描線こそが、狩野派の真髄と言えるかもしれません。

狩野永徳に代表される豪壮な画風

狩野派の歴史の中で、ひときわ強い輝きを放つスター絵師が、桃山時代に活躍した狩野永徳(かのうえいとく)です。

彼の登場によって、狩野派のスタイルは一つの頂点を迎えます。

永徳が生きた桃山時代は、織田信長や豊臣秀吉といった天下人が、その権力を誇示するために、次々と壮大な城郭を築いた時代でした。

安土城や大坂城、聚楽第といった巨大建築の内部は、広大な空間を埋め尽くすための、これまでにないスケール感の絵画を必要としていました。

この時代の要求に見事に応えたのが、狩野永徳だったのです。

永徳は、祖父・元信が確立した画風をさらに発展させ、巨大な画面を圧倒するような、ダイナミックで力強い様式を創り上げました。

彼のスタイルは「大画(たいが)様式」とも呼ばれます。

その特徴は、何と言っても画面からはみ出すほどの巨大なモチーフです。

例えば、金箔で覆われた屏風に、ごく一部だけを切り取られた巨大な檜(ひのき)を描いた「檜図屏風」。

あるいは、勇壮な獅子が躍動する「唐獅子図屏風」。

これらの作品では、主題となるモチーフが画面いっぱいに、時にはフレームを無視するかのように大胆に配置されています。

この圧倒的な存在感と迫力は、まさに天下人の豪放な気風を映し出しているかのようです。

また、永徳は金碧(きんぺき)障壁画、つまり金箔を背景に、青や緑の鮮やかな岩絵具で描くスタイルを得意としました。

城の薄暗い室内を明るく見せる効果と、権力者の富を象徴する豪華さを兼ね備えたこのスタイルは、当時の武将たちに大変好まれました。

金の背景に、力強い墨の線で描かれた巨木や動物が浮かび上がる様は、まさに圧巻の一言です。

永徳は、巨大な工房を率いるリーダーとしても卓越した手腕を発揮しました。

次々と舞い込む大量の注文をこなすため、彼は一族の絵師たちを組織し、分業体制を敷いて効率的に制作を進めたと言われています。

例えば、下絵は永徳自身が描き、彩色は弟子たちに任せる、といった具合です。

この驚異的な制作スピードとエネルギーがあったからこそ、彼は時代の寵児となり得たのでしょう。

狩野永徳の作品は、桃山時代の気風そのものとも言えます。

その豪壮で生命力にあふれた画風は、まさに狩野派の権威と実力を象徴するものであり、後の時代の絵師たちにも大きな影響を与え続けたのです。

大和絵の伝統から生まれた華やかな琳派

狩野派が中国由来の漢画をベースにしているのに対し、琳派の美しさの源泉は、日本の伝統的な絵画である「大和絵(やまとえ)」にあります。

大和絵とは、平安時代に成立した、日本の風景や風俗、物語などを主題とする絵画のことです。

その特徴は、鮮やかで豊かな色彩、金銀の箔や砂子(すなご)を使った装飾性、そして平面的でデザイン的な構図にあります。

琳派の画家たちは、この大和絵の優美で洗練された美意識を深くリスペクトし、それを自分たちの時代に合った、新しい感覚で蘇らせたのです。

琳派の作品を見ると、狩野派のような力強い墨の輪郭線はあまり目立ちません。

その代わりに、画面全体が豊かな色彩で満たされています。

例えば、植物の葉を緑一色で平らに塗ったり、水の流れを様式化された曲線で表現したりします。

これは、物の形をリアルに写し取るというよりも、その物の持つ美しさやエッセンスを抽出し、デザインとして再構成しようとする意識の表れと言えるでしょう。

特に、金や銀の使い方は琳派の大きな特徴です。

狩野派が背景として金箔を使い、空間の豪華さを演出したのに対し、琳派の画家たちは、金を一つの「色」として、デザインの重要な要素として用いました。

例えば、尾形光琳の「紅白梅図屏風」では、中央を流れる川が、銀地の上に黒い様式的な文様で描かれています。

ここでは、銀はもはや背景ではなく、川そのものを象徴する大胆なデザインの一部なのです。

また、琳派の画家たちは、絵画だけでなく、さまざまな工芸品の分野でもその才能を発揮しました。

着物のデザイン、漆器の蒔絵、扇子、陶器の絵付けなど、彼らの美意識は人々の暮らしを彩るあらゆるものに及んでいます。

このように、ジャンルを横断して統一された美のスタイルをプロデュースする感覚は、現代で言うところの「アートディレクター」や「デザイナー」に近いかもしれません。

琳派の作品が、数百年経った今でも古さを感じさせず、モダンで魅力的に見えるのは、こうした高いデザイン性に基づいているからなのでしょう。

大和絵という古典の泉から、常に新しい美を汲み上げ続けたこと、それが琳派の華やかさと独創性の秘密なのです。

創始者とされる俵屋宗達の作品

琳派という流派の、輝かしい歴史の源流に位置するのが、桃山時代後期から江戸時代初期にかけて京都で活躍した絵師、俵屋宗達(たわらやそうたつ)です。

ただし、彼が「琳派を創設しよう」と考えて活動したわけではありません。

彼の生み出した革新的なアートが、あまりにも魅力的だったために、後の時代の画家たちが彼を「心の師」と仰ぎ、結果として琳派という大きな流れが生まれていったのです。

宗達の出自については、詳しい記録が少なく謎に包まれていますが、元々は「俵屋」という絵屋(扇子や屏風などを制作・販売する店)を営んでいたと考えられています。

彼は、宮廷の文化人であった本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)と協業し、光悦が書を、宗達が下絵を描いた豪華な和歌巻などを制作しました。

このことからも、彼が当時の一流の文化人たちと交流する、高い身分の絵師であったことが伺えます。

宗達の作品の最も大きな特徴は、その斬新な技法と構図にあります。

その一つが、「たらし込み」という技法です。

これは、先に塗った絵の具がまだ乾かないうちに、別の色や墨を垂らし、そのにじみによって偶然生まれる、柔らかく豊かな色彩効果を狙ったものです。

例えば、木の幹や地面の表現にこの技法を用いることで、しっとりとした空気感や、自然な濃淡が生まれます。

このコントロールされた偶然性は、宗達の作品に独特の潤いと深みを与えています。

また、輪郭線を描かずに、色の面だけで形を表現する「没骨(もっこつ)」という技法も得意としました。

そして、何と言っても宗達の代名詞とも言えるのが、国宝「風神雷神図屏風」でしょう。

広大な金地の空間の両端に、風神と雷神だけを大胆に配置したこの構図は、見る者に強烈なインパクトを与えます。

二人の神の間には何もなく、ただ金色の空間が広がっているだけですが、この「何もない空間(余白)」が、かえって二神のダイナミックな動きや、天空の無限の広がりを感じさせるのです。

この大胆な画面構成のセンスは、まさに天才的と言えるでしょう。

俵屋宗達は、大和絵の伝統に根ざしながらも、これまでの常識にとらわれない自由な発想と技法で、日本絵画に新しい地平を切り開きました。

彼の作品が持つ、生き生きとした生命感、装飾的な美しさ、そしてモダンなデザイン感覚は、約100年後に現れる尾形光琳に大きなインスピレーションを与え、琳派という華やかな花の種子となったのです。

 

琳派と狩野派の簡単な見分け方を紹介

この章のポイント
  • デザインの尾形光琳と呼ばれる独創性
  • スタイルで見る二つの流派の違い
  • これで分かる!作品の見分け方のコツ
  • 代表的な画家たちを一覧でチェック
  • 琳派と狩野派の奥深い世界を楽しもう

デザインの尾形光琳と呼ばれる独創性

俵屋宗達が蒔いた琳派の種を、見事な大輪の花として咲かせたのが、江戸時代中期に活躍した尾形光琳(おがたこうりん)です。

光琳の登場によって、琳派のスタイルはより洗練され、その評価は決定的なものとなりました。

「琳派」という名前も、実はこの「光琳」の一字をとって、後世の人々が名付けたものなんですよ。

光琳は、京都の高級呉服商「雁金屋(かりがねや)」に生まれました。

幼い頃から、着物の美しい文様や、一流の文化に囲まれて育ったことで、彼の類まれなデザインセンスは培われていったのでしょう。

彼は、俵屋宗達の画風に深く傾倒し、その作品を熱心に学びました。

特に、宗達の「風神雷神図屏風」を寸分違わぬ精度で模写した作品は有名で、宗達への深い尊敬の念が伝わってきます。

しかし、光琳は単なる模倣者ではありませんでした。

彼は宗達のスタイルを完全に自分のものとして消化し、そこに自身の天性のデザイン感覚を加えて、さらにシャープで洗練された、唯一無二の様式を創り上げたのです。

その真骨頂とも言えるのが、国宝「燕子花図屏風(かきつばたずびょうぶ)」です。

金箔を貼った六曲一双の屏風に、群青と緑青の二色だけで、リズミカルに配置された燕子花の群れ。

そこには土も水辺も描かれていません。

背景とモチーフの関係を大胆に整理し、色彩と形、配置のリズムだけで花の美しさを表現する。

この極限まで切り詰められた構図と、グラフィカルな美しさは、現代のデザインのポスターを見ているかのようです。

また、彼の最高傑作の一つに挙げられるのが、国宝「紅白梅図屏風」です。

画面の左右に、対照的な姿態の紅白の梅を配置し、その中央に、デザイン化された川の流れを描いています。

特にこの川の表現は圧巻です。

銀地に、墨で渦巻くような文様を描いたこの流れは「光琳波(こうりんなみ)」と呼ばれ、彼の独創性を象徴するモチーフとなりました。

写実的であることよりも、いかに美しく、いかに面白く見せるか。

光琳の作品には、そうした徹底した美意識と、見る人を楽しませようとするサービス精神が溢れています。

絵画だけでなく、弟の乾山(けんざん)が作った陶器に絵付けをしたり、蒔絵の硯箱をデザインしたりと、ジャンルを超えて活躍した彼の姿は、まさに「スーパーアートディレクター」と呼ぶにふさわしいでしょう。

尾形光琳の作品が持つ、この知性と洒脱さに満ちたデザイン感覚こそ、琳派の魅力を最もよく表していると言えるかもしれません。

スタイルで見る二つの流派の違い

これまで、琳派と狩野派の背景や代表的な画家について見てきましたが、ここで改めて、実際の作品を見たときにどこに注目すれば良いのか、具体的なスタイルの違いを整理してみたいと思います。

いくつかのポイントを押さえておくだけで、美術館での作品鑑賞がぐっと分かりやすくなるはずです。

一緒に、見分けるための「眼」を養っていきましょう。

  1. 線の扱い方:力強さの狩野派 vs. 色彩の琳派
  2. 構図の考え方:権威の狩野派 vs. デザインの琳派
  3. 金の使い方の違い:背景の狩野派 vs. 色としての琳派
  4. モチーフの選び方:漢画趣味の狩野派 vs. 大和絵趣味の琳派

1. 線の扱い方:力強さの狩野派 vs. 色彩の琳派

まず注目したいのは「線」の存在感です。

狩野派の作品では、岩や木、人物の輪郭が、力強く、そして迷いのない墨の線でくっきりと描かれています。

これは彼らが水墨画を基礎とし、筆の勢いや技術(筆力)を非常に重視したからです。

この骨太な線が、作品全体に格調高さと安定感を与えています。

一方、琳派の作品では、はっきりとした輪郭線はあまり目立ちません。

「たらし込み」の技法によるにじみや、「没骨」という輪郭線なしで直接彩色する方法が多用されるため、モチーフは色彩の面として、柔らかく表現されることが多いのです。

2. 構図の考え方:権威の狩野派 vs. デザインの琳派

次に、画面全体の構成、つまり「構図」を見てみましょう。

狩野派、特に桃山時代の作品は、城の広間を飾るため、画面いっぱいにモチーフを描き込み、見る者を圧倒するような力強い構図を特徴とします。

画面に余白が少なく、エネルギーに満ち溢れています。

対して琳派は、大胆な「余白」の使い方が非常に巧みです。

画面の片側にモチーフを寄せたり、風神雷神図のように、真ん中をがらんと空けたりすることで、かえって空間の広がりや、見る者の想像力をかき立てます。

そこには、計算され尽くしたデザイン的な意図が感じられます。

3. 金の使い方の違い:背景の狩野派 vs. 色としての琳派

金箔や金泥は、どちらの流派も好んで使った画材ですが、その使い方には明確な違いがあります。

狩野派にとって、金は主に「背景」として機能します。

金色の雲(金雲)で場面を区切ったり、背景を金で埋め尽くして豪華さを演出したりしますが、金そのものが主役になることは少ないです。

しかし琳派では、金は単なる背景ではなく、デザインを構成する重要な「色」の一つです。

燕子花図のように、モチーフを際立たせるための抽象的な地として使われたり、紅白梅図屏風の川の流れのように、金や銀自体がモチーフとして描かれたりもします。

4. モチーフの選び方:漢画趣味の狩野派 vs. 大和絵趣味の琳派

最後に、何が描かれているか、という「モチーフ」にも注目です。

狩野派は武家政権の御用絵師だったため、権力者の威厳を示すような、中国の故事、聖人、龍や虎、鷹といった勇壮な動物などを好んで描きました。

これは漢画の伝統に連なるテーマです。

琳派の画家たちは、公家や町衆といったパトロンの好みを反映し、『源氏物語』や『伊勢物語』といった日本の古典文学の一場面や、四季折々の草花、鳥など、より身近で装飾的なテーマを選びました。

これは大和絵の伝統を受け継ぐものです。

これらのポイントを頭の片隅に置いて作品を見ると、「あ、これは線が力強いから狩野派かな?」「この大胆な余白の使い方は琳派っぽい!」というように、自分なりの発見ができて、鑑賞がもっと楽しくなるはずです。

これで分かる!作品の見分け方のコツ

さて、スタイルの違いが分かったところで、さらに実践的な見分け方のコツをいくつかご紹介したいと思います。

これを知っておけば、あなたも「日本美術、ちょっと分かる人」になれるかもしれません。

美術館で作品を前にした時、ぜひ試してみてください。

コツ1:落款(らっかん)を探してみる

一番確実なのは、やはり作者のサインや印である「落款」を見つけることです。

画面の隅の方に、作者の名前や雅号(がごう)が書かれ、朱色の印が押されていることが多いです。

もちろん、全ての作品にあるわけではありませんし、達筆すぎて読めないことも多いのですが、「狩野〇〇」や「光琳」といった文字が見つかれば、一発で答えが分かります。

作品解説のパネルと照らし合わせてみるのも良いでしょう。

コツ2:「血の繋がり」か「心の繋がり」かを想像する

これは少し情緒的なアプローチですが、作品の雰囲気から、その作られた背景を想像してみる方法です。

作品から、厳格なルールや様式、師から弟子へと受け継がれたであろう「型」のようなものを感じたら、それは狩野派かもしれません。

組織の中で、伝統を守りながら描かれた、ある種の「フォーマル」な空気感です。

一方で、作品からもっと自由で、個人的なひらめきや遊び心、作り手の「好き」という気持ちが伝わってくるようなら、それは琳派の可能性があります。

特定の師に縛られず、尊敬する先人のスタイルにインスパイアされて生まれた、「インディーズ」な精神です。

「この絵は、まるで会社の公式ポスターみたいに堂々としているな」と感じれば狩野派、「これは、才能あるデザイナーが自由に作った作品みたいにお洒落だな」と感じれば琳派、といった具合に考えてみるのも面白いですよ。

コツ3:作品が置かれる「場所」をイメージする

その絵が、もともとどんな場所に飾られていたのかを想像するのも、見分けるための大きなヒントになります。

もし、目の前の作品が、城の広間や、将軍が座る部屋の襖絵だったとしたら、どんな絵がふさわしいでしょうか。

おそらく、権威を示すための、豪華で格式高い絵が必要になるはずです。

そうした「ハレの場」の力強さを感じさせる作品は、狩野派の可能性が高いでしょう。

逆に、裕福な商人の家の客間を飾る屏風や、個人の書斎で使う硯箱のデザインだったとしたらどうでしょうか。

そこでは、もっとパーソナルな美意識や、季節感を楽しむような、洗練されたデザインが好まれるはずです。

そうした「私的な空間」を彩る、洒脱な雰囲気を持つ作品は、琳派のものであることが多いです。

これらのコツは、あくまで楽しむための一つの切り口です。

正解を当てることよりも、こうした視点を持つことで、作品と対話し、その背景にある物語を想像する楽しみが生まれることこそが、大切だと私は思います。

代表的な画家たちを一覧でチェック

琳派と狩野派、それぞれの流派には、時代を彩った多くのスター絵師たちが存在します。

ここでは、これまでの話に出てきた画家たちも含め、両派の代表的な人物を改めて一覧で確認してみましょう。

この名前と時代背景を知っておくだけでも、美術展の系図などが理解しやすくなります。

狩野派の主な画家たち

約400年にわたる巨大な絵師集団である狩野派には、数多くの重要な画家がいます。

ここでは、特に流派のスタイルを確立し、発展させたキーパーソンを中心に紹介します。

  • 狩野正信(かのう まさのぶ / 1434?~1530?):狩野派の創始者。室町幕府の御用絵師となり、漢画(水墨画)を基盤とした武家好みの画風を確立しました。
  • 狩野元信(かのう もとのぶ / 1476?~1559):正信の子。漢画の力強さに大和絵の色彩美を融合させ、狩野派の画風を盤石なものにした天才です。
  • 狩野永徳(かのう えいとく / 1543~1590):元信の孫。桃山時代の気風を体現する、豪壮でダイナミックな「大画様式」を確立。織田信長、豊臣秀吉に仕えました。
  • 狩野山楽(かのう さんらく / 1559~1635):永徳の弟子(後に養子)。永徳の豪壮なスタイルを受け継ぎ、京都で活躍した京狩野の祖です。
  • 狩野探幽(かのう たんゆう / 1602~1674):永徳の孫。江戸幕府の御用絵師として、桃山時代の豪壮さから、余白を生かした知的で瀟洒な画風へと転換させ、江戸狩野のスタイルを確立しました。

琳派の主な画家たち

琳派は血縁や直接の師弟関係で結ばれていないため、時代を隔てて才能が花開くのが特徴です。

ここでは、琳派の美意識を継承し、発展させた3人の巨匠を中心に見ていきましょう。

  • 俵屋宗達(たわらや そうたつ / 生没年不詳):琳派の創始者と見なされる天才絵師。桃山~江戸初期に活躍。「たらし込み」などの技法や大胆な構図で、大和絵に新しい命を吹き込みました。
  • 尾形光琳(おがた こうりん / 1658~1716):宗達から約100年後の江戸中期のスター。宗達に私淑し、その画風を、より洗練されたシャープなデザインへと昇華させました。「琳派」の名の由来となった人物です。
  • 酒井抱一(さかい ほういつ / 1761~1829):光琳からさらに約100年後の江戸後期の画家。武家の出身ながら、光琳の画風に憧れてその再興に尽力。光琳の華やかさに、叙情的で繊細な江戸の美意識を加えた「江戸琳派」を確立しました。

こうして見ると、狩野派が「父から子、子から孫へ」と連続的にスタイルを受け継いでいるのに対し、琳派は「宗達→(100年)→光琳→(100年)→抱一」というように、時代を超えたリレーで繋がっているのが非常によく分かりますね。

この二つの流派の、対照的な歴史そのものが、それぞれの作品の個性を生み出していると言えるのかもしれません。

琳派と狩野派の奥深い世界を楽しもう

ここまで、琳派と狩野派の違いや特徴、そして見分け方について、皆さんと一緒に探求してきました。

いかがでしたでしょうか。

二つの流派が、それぞれ全く異なる背景や価値観から、こんなにも個性的で魅力的なアートを生み出してきたことに、私自身、改めて感動を覚えます。

狩野派の、権力と結びついた堂々たる風格と、400年という長大な歴史を支えた組織力と技術力。

それに対して、特定の組織に属さず、時代を超えた「憧れ」によって才能が繋がれていった琳派の、自由でモダンなデザインセンス。

どちらが良い、悪いということでは全くなく、それぞれが日本の美術史における、かけがえのない宝物であることは間違いありません。

この記事をきっかけに、もし皆さんが美術館で琳派や狩野派の作品に出会ったとき、「あ、これはあの時の…」と、少しでも親しみを感じてもらえたら、私にとってそれ以上に嬉しいことはありません。

「この力強い線は、武士の気迫を表しているのかな」「この色の組み合わせ、なんてお洒落なんだろう」そんな風に、自分なりの視点で作品と対話してみることで、アート鑑賞はもっともっと個人的で、楽しい体験になるはずです。

専門的な知識がなくても、美しいものを「美しい」と感じる心があれば、誰もがアートの探求者になれるのだと私は信じています。

琳派と狩野派という、二つの大きな扉の向こうには、さらに広大で奥深い日本美術の世界が広がっています。

これからも、その世界の魅力を、皆さんと一緒に発見していけたら幸いです。

この記事のまとめ
  • 琳派と狩野派は日本美術を代表する二大流派
  • 狩野派は室町から江戸末期まで続いた血族の絵師集団
  • 琳派は血縁によらず私淑によって継承された流派
  • 狩野派のパトロンは幕府や大名など時の権力者
  • 琳派は公家や裕福な商人たちが主なパトロンだった
  • 狩野派の画風は中国由来の水墨画がベース
  • 力強い筆致と格式高い作風が狩野派の特徴
  • 琳派の画風は日本の伝統的な大和絵がベース
  • 華やかな色彩とデザイン的な構図が琳派の魅力
  • 狩野派の代表は狩野永徳や狩野探幽など
  • 琳派の代表は俵屋宗達や尾形光琳、酒井抱一
  • 見分けるコツは線の扱い方や構図、金の使い方に注目すること
  • 権威的でフォーマルなのが狩野派、自由でデザイン的なのが琳派
  • 両者の違いを知ることで日本美術の鑑賞がより楽しくなる
  • アートは知識だけでなく心で感じることが大切

 

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